◆ mono・どうぐ・気がつけば古いものに引かれて始まったCollector人生。 ◆
形・フォルム・風貌などなど、なんとなく好きの感覚だけでcollection、ではあるけれど・・・・。
知らないより知っているほうが、monoの向こう側が覗けるようでなんだか楽しくなります。。。

|
◆ |
 |
|
DURALEX(フランス)1946年〜
|
DURALEXを製造していたフランスの国営企業「サン・コヴァン社」は、ガラス造りで300年の歴史を持ち車のフロントガラス製造の技術を活かし、1939年世界で初めて、実用性に優れた、強化ガラス製のタンブラ−を製造、1946年にDURALEXブランドとして確立させました。シンプルな中にも味のあるデザインは、フリ−ザ−から電子レンジへテ−ブルから食器洗浄機へと、現代生活に即した利便性。
その強固さ、デザイン、使い心地の良さから、フランスのレストラン・カフェなどの業務用として昔から変わらず広く愛されています。 昔ながらの技法でグラスを作り続ける職人達と、それを支援して使い続けた人たちのフランス文化の奥深さが伝わる商品。
数年前この会社は100年前に始まったガラス食器部門の合理化を図った。
1998年、イタリア・ボルミオリ社(Bormioli Rocco)の傘下に入り現在に至る。
※一番大きな13オンスのグラスがバランスが悪いと宣う。イタリア人特有のバランスデザイン優先論。
※「DURALEX」の刻印入りの商品は希少になってくると思われます
|
 |
オールドデュラレックスクリア TEAC&S。
『DURALEX』の刻印が入っています。
今もカフェではお馴染みのデュラレックス
のピカルディグラス。 |
|
PYREX(アメリカ)1915年〜
|
PYREXは、1915年にコーニング・グラス・ワークス社が商標登録しました。ギリシャ語のPYRO(熱)とラテン語のREX(王様)を合わせた造語で、熱の王様という意味です。電子レンジ・オーブン用ガラスです。ブランドとしては、非常に長い歴史を持っており、第一次世界大戦のさなかにアメリカで誕生し理化学用器具及び食器として開発されて以来全世界で88年の長きに渡って愛用されています。
世界の耐熱ガラスの起源は、アメリカのコーニング社が開発したこのパイレックス(R)とドイツのメーカーが開発したものの2種類になります。コーニング・グラス・ワークス社は1851年設立のベイ・ステート・グラス社に始まり、その後いくつかの合併を繰り返しながら1875年に設立しました。1989年に現在のコーニング社(Corning)へ名前が変わりました。1912年、コーニング社は、鉄道会社からの依頼で、耐久性の強い、信号機用のランタンに使う耐熱ガラスの発明に成功しました。あの有名なエジソンが発明した電球のガラス部品を供給したり、実験用のガラス製品や宇宙船の窓ガラスを開発したりと、当時では高い技術力を誇るガラスメーカーだったのです。この発明の数年後、この高温に耐えられるという技術力は調理器具に応用されるようになり、そして世界初のオーブンで使える耐熱ガラス食器が誕生しました。
パイレックスブランドが始まった(商標登録)のは1915年のことですが、実際にはそれ以前から製造していたようです(PYREX刻印無し)1912年から熱に負けない頑強なガラスを製造すべく模索していたようです。当初は「Pie-Right」あるいは「Py-Right」という名前で出荷していたようです。当時は透明なクリヤーガラスで、ミキシングボウル・パイプレート・カスタードカップ・キャセロールなどのキッチンツールが製造されました。1917年には科学薬品用ガラス製品にもパイレックス商標が導入されました。 1930年には、直接火に掛けて調理が出来る、FLAME WAREフレームウェアシリーズを発売しました。オパールグラスの、ミキシングボウルは1954年/シンデレラボウルは1958年、オパールグラスに着色コートした、bakewareシリーズは1955年/colorボウルシリーズは1956年に生産開始されました。飛躍的にアイテムが増えたのは1950年代後半に入ってからで、1960年代には全盛期を迎えました。今日、広く知られて人気があるものはほとんどが1950年〜1960年代のもので、様々なプリントパターンが生まれたのもこのころです。Snow flakeシリーズが1957年、Bluedirdシリーズが1959年、Early Americanシリーズが1961年、terraシリーズが1964年、Rainbow Stripesシリーズが1965年、Americanaシリーズが1966年、New Dotシリーズが1967年に発売されています。
1970年代の終わりから1980年代に入るとパイレックスの刻印は消えてコーニングのみになります。その後、軽くてかさばらない現在のCORELLE コレール製に切り替わっていきました。1998年に、自社の方向的・経営戦略的にそぐわないローテクノロジー的な分野であると判断したのか、食器製造・販売部門をBorden Inc.(ボーデン社は国際企業で、米国ボーデンを始め英国ボーデンなど世界中に関連企業多数で様々な工業製品家庭用品を製造する。日本ではレディーボーデンのアイスクリームやチーズがお馴染み)に売却し同社が新たに設立したWorld Kitchen Inc(ワールドキッチン社)で現在も続いています。
1960年前後まで製造されたものをOld Pyrexと呼びます。
日本では岩城硝子(株式会社岩城ハウスウェア)が1965年にライセンスを受けてイワキガラスブランドのキッチンツールに取り入れて現在も生産しています。 |
 |
パイレックス・レフケース
(refrigerator Case)
1940年代〜70年代中心に製造された保存容器。カラー・プリント・S・M・L |
 |
パイレックスフレームウェア
(FLAME WARE)
1936〜79年まで製造されていた直火の使用が可能なシリーズ。
バックスタンプに炎のマークがあります。 |
 |
フランス製VISION(ビジョン)のアンバーカラーが美しいミルクパンです。
ビジョンの素材は液晶化ガラス(耐熱強化)直火・点火・電子レンジ使用。
Pyrex同様日本で岩城硝子がライセンスを受けています。
耐熱ガラスに共通して注意が必要なのは急激な温度変化を与えないということです。冷蔵庫から取り出し直接オーブンレンジを使うと割れてしまうことがあります。また熱い状態のまま冷やすのも避けてください。 |
|
Fire-King(アメリカ)1942〜1976年
|
FireKingは1942年〜1976年までアメリカのオハイオ州にあるAnchor Hocking社で製造されていた耐熱ガラス食器のブランド名。FIRE-KING=炎の王様は耐熱を意味しています。1900年代初頭アメリカのオハイオ州でホッキンググラス社が誕生し、1930年代後半に他社との合併によりアンカー・ホッキング社(Anchor
Hocking)となりました。1940年代に入るとついにファイヤーキングが発売され瞬く間にアメリカ中に広まって行きます。40年代からアメリカは高度成長が続いており発売されたファイヤーキングはその機能性や耐久性、デザインやカラーの豊富さから爆発的な人気になりました。
ファイヤーキング製品は裏のバックスタンプ(刻印)で製造年代がわかります。すべてゴシック体の"FIRE-KING OVEN GLASS"刻印が一番最初のものです。1940年代中期〜後期"GLASS"の文字が"WARE"に替わって使われ始めます。1950年代に入ると初めて"MADE IN U.S.A."の文字が入るようになります。ファイヤーキングもいよいよ世界に向けて輸出などを強く意識しはじめたのでしょう。Dハンドルマグ等に多く見られる刻印です。60年代ごろから会社名の「ANCHOR HOCKIG」と錨のマークが入ります。また70年以降、最後のバックスタンプには「Fire-King 」の文字は完全に消え、「OVEN-PROOF(アンカーマーク)MADE-IN-USA」になります。 |
 |
ファイヤーキング McDonald's
"Good Morning" Mug
Advertising Mug
アドマグは、他いろいろあります。
|
|
◆ |
 |
|
ウィローパターンは18世紀中期に、スポード社の創始者、ジョサイア・スポードや英国の陶磁器メーカー・ミントンの創始者であるトーマス・ミントンによって銅版画を転写する技法で創作されたといわれています。
英国だけでなくヨーロッパ諸国にまでその人気を誇るようになります。
その後、ウィローパターンはウェッジウッド、ロイヤルドルトンなど
数多くのメーカーによって生産されることとなります。
作られた時代、会社によってカップの底も中も、それぞれ少しずつ違います。
18世紀、中国からイギリスに陶磁器がもたらされます。その中にイギリスのみならず欧米で広く親しまれている絵柄の元になるものがありました。それは柳や小舟、松や島といった東洋趣味(シノワズリー)な絵柄でした。そのモチーフが時代の中で複写、生産、発展するうちに少しずつ英国調を帯び現在の"ブルーウィロー"として定着していったと思われます。
「ウィロー」は英語で柳のこと。
柳、二羽の鳥、楼閣、橋、小舟などを描いた図柄を「ウィローパターン」と呼び、
白地に青で描かれた製品が多いことから「ブルーウィロー」とも呼ばれています。
しかしこの文様にこめられたストーリー、
すなわち今ではよく知られている お皿に描かれた悲恋物語、チャンとクーン・セの悲恋物語そのものは 中国からのものではなく 英国に古くから言い伝えられてきた歌をもとにして創られたそうです。
 |
|
|
occupied japan 楕円プレート |
|
|
|
|
 |
|
 |
|
 |
made in japan 仕切りプレート |
|
GIEN green?willow |
|
|
|
昔々の中国、あるところに広大な敷地の中にある楼閣。(楼閣=絵柄の中央よりやや右にある建物)に住んでいる高官がおりました。 庭にはオレンジの樹木をはじめ、さまざまな木々が植えられておりその中には柳の木もあった。(これゆえブルーウィロー(柳)と呼ばれる。
男の秘書官の中にチャンという有能な若者がいて、男の一人娘、クーン・セに恋をしていました。将来を誓い合った二人ですが、身分の違いでそれは叶うことができない恋でした。
二人はクーン・セの侍女の助けを借りて逢瀬を重ねていました。
この密会が父親の知るところとなり、男は激怒してクーン・セを敷地内の館(絵柄の柳の右上にある小さな館)に閉じこめ、庭に高い塀。(絵柄 前方にある垣根。) を巡らせます。
彼はクーン・セを軍人のター・ジンと政略結婚させようと画策します。
さて婚礼の日、結婚を祝う客達が屋敷に到着しますが、その中にチャンも紛れ込んでいました。宴たけなわで皆が泥酔した頃、チャンとクーン・セは手に手を取って逃げ出します。
それに気づいた父親に追いかけられながらも (絵柄の橋、一番左がチャン、真ん中が処女を示す糸巻き棒を持つクーン・セ。
そして後ろから追いかけてくるのは怒りの鞭を持つ父親)、二人はしばらくかつてのクーン・セの侍女の家(絵柄の橋を渡ったところにある家)に匿われた後に
船で(絵柄の水上に浮かぶ船)離れ小島へと逃げおおせ家を建て(絵柄の左上の小島にある家)、幸せに暮らしますが、
二人の消息はター・ジンの耳に届いてしまいます。大軍を率いて二人の住む島へ向かいます。
チャンは島民の助けを借りて闘いますが多勢に無勢、総崩れとなって敗れ、クーン・セは絶望のあまり家に火をはなって自ら命を絶ってしまいます。
しかし、チャンとクーン・セの魂は二羽の不死の小鳥に姿を変え、
永遠の愛の象徴として天空を舞い続けたのでした。(絵柄中央に見える二羽の鳥)
これがその物語のあらすじです。
|
willowパターンの歴史はヨーロッパ諸国が先駆けなのですが、willow柄に親しんだのは、nikkoC/Sでした。その後、いろいろな場面で各国のwillowに出会い図柄に秘められた悲恋物語を知り。シニワズリーな図柄なのに妙に西洋様式のいろいろなシーンどんなお料理をもひき立てる不思議な魅力。作られた時代・会社によって、個性がありそれぞれ少しずつ違います。ブルーウィローの食器を見つけたら思わず手に取ってしまいます。 |
 |
 |
 |
 |
willowシリーズは戦後輸出用に製作されたとか。復刻版はブルーのみで刻印がちがいます。 |
|
|
 |
|
 |
左上はケーキ皿。ソーサーの図柄。オレンジが一番物語に忠実であり個性的。 |
|
|
|